人と自然との関係〜東洋医学に学ぶ〜

 

西洋医学 東洋医学

 

容器に水が満たされた状態が健康な状態だとします。なぜかこの水が減ってきて、体調が悪くなってきました。

薬で治すとは、水が減っては加え、減っては加えを繰り返すことに似ています。しかしよくみてみたらコップの下方に穴があいていました。東洋医学なら穴をふさぐ策を考えるでしょう。

 

西洋医学は、特に外科的処置、緊急時の処置、抗生物質・抗菌剤による細菌・ウイルスに対する処置を得意とし、多くの生命を救ってきました。私も恩恵をうけた一人であり、大変感謝しています。しかし、慢性的・内科的疾患、婦人科領域、あるいは病名の付けられない不定愁訴についてはどうでしょうか。好ましくない薬物療法の意味することや意義の見出せない薬漬けに陥る可能性があるということについて問題意識を持っていただければと思って書いております。

 

各臓器は血管と通してつながっており、互いに影響しあっていますので、一箇所が狂うと程度の差こそあれ全体を狂わせます。特に肝、腎の故障は血液を汚すので悪影響が広範囲に及びます。あるいは血液・体液の流れが滞ると、組織、臓器が孤立し、栄養不足、老廃物の溜め込み、ひいてはホルモン伝達に支障を来たします。臓器同士は常にコミュニケーションを取り合ってスムーズな協調作業をしていますが、その手段としてホルモンは重要です(脳からの指令は神経系で伝達されますが、末梢では血液、ホルモンで会話しています)。

また、脳からは自律神経(感神経・副交感神経)による支配があります。副交感神経は臓器各々に対して比較的決め細やかな指示を出していますが、ほとんどの臓器は交感神経と副交感神経の両方に支配されており、1つの器官だけが変化するのではなく、全体的に変化します。自律神経の乱れは体全体に影響を与えます。

つまり、今ある症状は結果的に自覚・他覚された一部分であり、原因はその奥にあると考えられます。逆に原因を正せば、複数の症状も全て解決される可能性が高いと考えられます。

 

薬は、現れた症状を揉み消すことや、検査値を正常に戻すことを目標にしているのではないかと思われることがしばしばです。症状には必ず原因があり、原因は人それぞれですし、同じ原因でも人の体質、習慣、体力で症状は様々な現れ方をします。す。西洋医学では、指標医学的評価法で察知できた症状に対して、殆どの患者に対して一様な処置方法が採られます。年齢も、性別も、他の病歴も、体質も、全く異なる高血圧患者が同じ薬物療法を受けていて不思議ではない世界です。薬は「多くの患者で血圧低下効果を出せる」ことを目的に開発されるので、原因を正すことは困難です。原因を残したまま血圧レベルを良い状態に維持するために服薬し続け、薬の副作用ばかり目立ち始めるばかりか、新たな症状が続々発現していく悲劇がないとは言えないように思えます。

東洋医学では患者を観察し、具合が悪くなった背景を知り、現病状(証)にあった処方をします。高血圧の裏には精神的要因があるかも知れないし、水分代謝の問題があるかも知れない。単に咳といっても直接咳を止めずに咳の原因を正します。黄色く粘調な丹、口渇、呼吸が荒くぜいぜいする、むせるような咳という場合は肺の陰虚であり、麦門冬湯で補陰し、肺を潤そうとします。水溶性の痰で悪寒がするような場合は肺が冷えている可能性があり、体に溜まった水の悪影響を小青龍湯で正そうとします。

現代医学はDNAレベルにまでせまっていますが、人の不調を正すのには細すぎる分析は役に立たないこともあります。特に西洋医学の苦手とする慢性的・内科的疾患、不定愁訴のような領域は体のマクロ的不調ととらえたほうが解決し易い。体調のバランスは神経系(精神的なことも含む)、水分代謝、血液循環でとられており、人体を全体的にとらえる東洋医学の方が功を奏することも多いようです。

東洋医学の手法は、患者の注意深い観察によって得られた経験論であり、しかも数千年の試練に耐えた方法論と考えられます。

症例数も年月も半端ではありません。生身の個々を観察し続けて得られた膨大なデータベースといったところでしょうか。

人は臓器1個やDNA単位で生命活動をしてはいません。各組織、臓器は血液等を介して相互に影響し合い、さらには外界とも接触し、影響をうけます。また、私たちの体はそれ程デジタルではありませんので、検査データの数値ばかりにとらわれることもどうかと思います。視点をミクロにすると細胞やDNAの世界に行き当たりますが、もはや生身の人間の世界ではありません。西洋薬の手法は時々ミクロすぎて人間の本質からずれていることがあるように思います。


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